この動画では、Pia Tafdrup が 2014年に発表した詩集『 Smagen af stål 』から、3編の詩を朗読しています。
・Stadier på livets vej
・Smag
・Porøs grænse

タフドロプ:Pia Tafdrop (1952 - )

オススメの作品は?

1991年に出版された詩論Over vandet går jeg(『水上を私は歩く』)です。タフドロプは1981年に詩人としてデビューして以来、現在まで17作の詩集を発表しています。12月6日に紹介したクレステンスン(Inger Christensen)が2009年にこの世を去った今、現代の詩壇において女性詩人の筆頭に挙げられると思います。彼女の詩はとても感覚的かつ官能的です。特に嗅覚や触覚を刺激する詩が多いです。今日ここに紹介するのはデビュー10年目を記念して出版された彼女の詩学。詩に対する個人の純粋な哲学的思索を断片的に語った詩論です。形式は、デンマーク戦後の形而上詩人の一人ラ・クーアが著したFragmenter af en dagbog(『日記からの断片』1948)の影響を強く受けています。本書の冒頭部分でで彼女は言葉が詩になるときのプロセスを以下のように言及します。「前言語状態は掴んでいる力があまりに強くて、実際についに詩を書く時点になると、書いているのが自分だと言う感覚が全くしません。ちょうど、麻酔にかかったような、酔ったような感じと言えば良いのでしょうか。私のなかの何者かが詩を書いていて、何が起こっているのかは説明できません。」と。平たく言えば詩のミューズが降りてくる過程を表現しているのでしょう。またフランスの天才詩人ランボーが「私と云うのは一人の他人です」と表現したのにも通じると思います。彼女も90年代詩人として「詩人の自己」を突き詰めて行った人です。彼女はその「自己」を理性で捉えるのではなく、理性の深奥に潜む感覚として捉えているよう思います。

タフドロプの作品に触れるきっかけは?

私がコペンハーゲン大学に留学していた1990年初頭は、まさに90年代詩人が次から次へと後世に残る大作を発表した時代でした。タフドロプもその一人です。クレステンセンの記念詩『蝶の谷』とこの『水上を私は步く』はまさに同年に発表されています。コペンハーゲンに暮らした2年半ほどの間に何度もデンマーク詩人の朗読会に足を運ぶことができた私はなんと幸せだったことでしょう。タフドロプの朗読会に臨んだときの印象をひとことで述べるとすれば、感覚的な響きと理知的な響きが同時に感じられる不思議な体験でした。後日、本書にじっくりと目を通しながら、次の箇所を読んで朗読会での印象を追体験することになります。「外界は思考することによって開けるものではありません。まず、肉体があって、それから概念の創造がおこるのです。肉体は思考に至る道で、必ず前もって存在する具体的なものです。肉体に結びついている感受性や感情は、思考することと外界との間の繋ぎ目なのです。私の詩にはたくさんの肉体、すなわち言葉に通じる肉体が存在しています。私が内側と外側との違いを把握するのも肉体を通してです。私は肉体のなかに存在し、肉体は私と外界の中にある諸々の事象のあいだに存在します。しかし私は決して肉体に対して客観的な関係を抱いているのではありません。なぜなら肉体は「私」のものなのですから」(原作Over vandet går jeg『水上を私は歩く』p.76より)