
Utas værelse

Kay Nielsen
カイ・ニールセン
皆さん、こんにちは。もうすぐクリスマスですね。
今年もアドベントカレンダーにちなんで、北欧の文化を紹介します。
今年のテーマは「北欧の画家たち」です。デンマーク・スウェーデン・ノルウェーの画家を2人ずつ、計6人ご紹介します。どうぞお楽しみください。
初回の今日は、見る者を夢見心地にする、カイ・ニールセンの挿絵の世界を紹介します。

「白い国の3人の姫君」、『太陽の東、月の西』(1914)より
カイ・ニールセン(Kay Nielsen, 1886-1957)はデンマークの(挿絵)画家です。
その緻密で幻想的な挿絵は、現代日本においても人々の心を魅了し、多くのファンを得ています。しかし、生存中は世界大戦など社会の変化、印刷技術の発達による写真の台頭などにより、次第に評価されなくなり、不遇の人生を過ごした人でもあります。そしてその後も、つい近年までその存在を忘れ去られ、長いあいだ歴史に埋もれてしまっていたのでした。
その人生と代表作を簡単にご紹介したいと思います。
カイ・ニールセンが生まれたのは、1886年のコペンハーゲンです。アンデルセンが生きていたのが1805年から1875年ですから、その少し後ということになります。当時の世の中は「世紀末」と呼ばれる独特の風潮が見られ、「アール・ヌーヴォー」というスタイルが登場した時代です。筆者はあまり美術史にくわしくないため、これ以上説明できないのですが、この流行のもと、ロココ、バロック、ゴシックなどのスタイルも取り入れつつ、チェコのミュシャにみられるように、自国のアイデンティティなど、独自の文化が強く意識されていきました。一方でジャポニズム(日本趣味)などの、エキゾチックな美術への関心が高まったのも、「アール・ヌーヴォー」の特徴の一つと言われています。
このような時代の中で「挿絵」というジャンルが黄金時代を迎えました。そしてアーサー・ラッカム、オーブリー・ビアズリー、エドマンド・デュラックといった挿絵画家が素晴らしい挿絵を次々と生み出していきました。そういった風潮の中で、カイ・ニールセンは1904年に絵画の修行にパリに出るのですが、その中でビアズリーの絵に強い感銘を受けます。(ビアズリーといえば、オスカー・ワイルドの『サロメ』の挿絵で有名です。)

ビアズリーの絵
ビアズリーに強く影響を受けたニールセンは、同じように白黒で挿絵を描いた『死者の書』を発表し、これがロンドンで評価を受けます。これに手ごたえを感じたためロンドンに渡り、代表作となる『おしろいとスカート』(1913)、『太陽の東、月の西』(1914)を次々と発表します。
