科学研究費助成事業採択研究課題

死生観の文学空間

−現代北欧児童文学における「死」の語り

 

1. 研究当初の背景

 

(1)北欧文学において「死を語ること」は古来普遍的なテーマとして扱われてきた。その最大の根拠は、北欧神話における闇からの世界創造である。即ち北欧の世界観、死生観は闇(死)が起点であり、同時に終点となっていることが最大の特徴である。「死」は「生」の終結点ではなく、「生」が一時的に休止するもの、「生」に交替するものとして位置づけられてきた。西欧19世紀ロマン主義においては、「子どもは永遠不滅」であり、同時に「子どもに死を語ることもタブー」とされていた。当時、そのタブーを最初に打ち破ったのが、児童文学の先駆者アンデルセンである。アンデルセンが、時代、地域、ジャンルを越境し世界文学として確立されてきた所以を、平成22年から24年(2009~2011)に採択された科研「脱領域観点に依拠した「越境文学」としてのアンデルセン研究」において検証および分析し、新たなアンデルセン像を日本において提示すると同時に、ディシプリンに縛られない文学研究の手法に到達した。

 

(2)上記のアンデルセン研究おいて、「越境文学」、「移動文学」としてアンデルセン文学を現代文学の枠組みにおいて再解釈する際に浮かび上がったのが、「子どもの死の記述」である。アンデルセンが作品の創造過程において決して蔑ろにしなかった「子どもの死の受容」というテーマが現代北欧児童文学において今なお継承されていると総括し、今後の研究課題にするべく本研究の構想を立ち上げ、そこから現代北欧児童文学におけるテーマ「子どもへの死の語り」の解題にむけての準備を開始した。その過程で不可分にできない課題が、北欧社会全体において為されている、子どもの「死の受容」をめぐる活発な社会的議論との連関性であった。この両者の関係性をディシプリンの異なる研究者と協力しつつ検証することが本研究開始当初の背景となった。

 

2. 研究の目的

 

(1) 本研究は現代北欧児童文学の領域の中で「現代において子どもに死を語ることの社会的意義をめぐる」議論が文学研究として活発に展開されつつある状況に着目し、その研究事例を文学的研究手法と社会学的研究手法を融合させることで北欧地域の文化的・社会的実態に即した視点から多角的に検証することを主目的とするものである。さらに、その検証をもとに、我が国において主に社会科学系領域(精神医学、社会学、人間科学)や教育学の領域でしか扱われてこなかった死生学教育(デスエデュケーション)が、文学の領域においても大きな可能性と必要性を有していることを社会学者(死生学を専門とする研究分担者)との共同研究から考究する。

 具体的には次の2点に集約される。①研究代表者(田辺欧:北欧文学研究)と研究分担者(藤井:死生学研究)各人が人文学・社会学研究の知見に基づき、「子どもの死の受容」が、文学・社会学の総合研究として、また教育方策として現代北欧社会のなかでどのように位置付けられているのかを現地調査を通して考察する。②現地調査を共同で行うこと、またそれぞれの専門分野における研究情報を共有することによって、新たな文学研究として、児童文学を「死生学」と関連づけ、その社会的意義を明らかにする。

 

(2)本研究の主目的は(1)に述べたとおりであるが、副次的目的として以下のことが構想された。これまで我が国において社会科学の分野でしか研究されてこなかった「死生学」を文学研究のなかに取り入れ、ディシプリン、あるいは枠組みを越えた専門的知見の共有化を図ることによって、我が国の喫緊の課題のひとつである「いのちの問題」を先駆的な文学研究の一事例として、また今後構築すべき「死生学」の総合的研究の参照事例として資することを目的とする。

 

3. 研究の方法

 

本研究は、何よりもまず本来、医学・社会学の分野で主に取り扱われてきた「子どもに対する死生学」の議論を、文学研究において主体的に取り上げるという逆方向からの研究方法に基づいている。例えば、「子ども」「死生観」「死生学」という3つをキーワードに文献を検索すると、そのほとんどは精神医学、社会学、教育学のなかで見出され、そのなかで副次的教材として、生き物の生死や「死」をテーマとして取り上げた絵本などが紹介されるにすぎない。それらは、個別のディシプリンから捉えられた一方向的な解釈であり、作家自身の死生観や文学に込められた死生観、また「なぜ文学を通して子どもに「死」を語ることが必要なのか」という観点はこれまで等閑視されてきた。北欧諸国においては近年、「子どもへの「死」の語り」に関連した研究は、児童文学研究所をはじめとした専門研究機関が発行する研究誌、研究フォーラム、メディア媒体(新聞・ネット上)での一般議論、ディシプリンを越えた研究者で構成されたホスピスフォーラムなどで活発に実施されている。本研究においては、現代北欧児童文学が提示する原テクスト解釈を基に、「文学が子どもに死を語ることの社会的意義」を的確に検証し、それら人文学的なアプローチが現代北欧社会の掲げる重要課題「子どもの人権と生命倫理問題」に主体的に参与している状況を検証し、考察する。それゆえに本研究は①現地での参考資料の収集と取材、②ディシプリンの違う研究分担者との討議と研究成果の発表をとおして各々の知見を相互補完するという二つの方法を軸に進めた。

 

(1)まず現地での文献資料収集と取材は初年度2012年、翌年の2013年にスウェーデンとデンマークを中心に行った。資料の収集に関しては、北欧の原典資料に限らず、日本語資料も比較分析の対象とした。それらは「死」をテーマにした児童文学(主として絵本)、「死生学」「死生学教育」について書かれた専門書、北欧における「子どもと死」に関して記述されたさまざまなメディア媒体(新聞、雑誌、ネット、テレビ放映記事など)である。

 一方現地取材は2年連続、各1週間ずつ行った。初年度はスウェーデンの研究諸機関(スウェーデン児童文学研究所、Ersta lillagaarden: Ersta子どもホスピス)を訪問し、現地の研究者から資料、情報の提供を受けると同時に、共同研究の可能性を探って活発な意見交換をおこなう方法を模索した。その際、研究協力者であるスウェーデン・リンシューピング大学のアンベッケン氏にそれら研究諸機関との仲介役として、調査プログラムの企画を依頼した。研究2年目は取材先をデンマークに絞り、民間団体である「ガン撲滅協会」およびデンマーク王立病院付属図書館を訪問し、緩和ケア・プロジェクトリーダーや図書館専門司書と「子どもと緩和ケアプログラム」について意見を交換し、「ガン撲滅協会」が独自で発行している「子どもと死」をめぐるさまざまな書籍、パンフレット、教材などを入手し、デンマークにおける死生学教育の実態を調査した。また絵本を通して「死」を語る作家Kim Fupz Aakeson (キム・フォップス・オーケソン)を訪問し、作家自身の死生観、子どもに死を語ることの意義、デンマーク学校教育になどについてインタビューを行った。

 

(2)国内においては、研究分担者と適宜連絡を取り合い、お互いのディシプリンにおいて本研究に関する情報の交換に努めた。北欧現地視察においては、図書館や児童文学研究所、作家インタビューなどは研究代表者である田辺が主体となって調査する方法を、また子どもホスピスの訪問、緩和ケアの研究者との討議においては研究分担者藤井が主に舵取りをしつつ、個々の調査と取材を完了する度ごとに双方の知見を相互補完するかたちで考察を行った。

 

4. 研究成果

 

(1)本研究の初年度は6月にまず研究分担者と今後3年間の研究計画を具体的に検討し、調査項目を明確にするための研究会を開いた。9月には関西学院大学・聖和短期大学主催のRCCEC公開講座において、本研究と関連させた講演「現代北欧児童文学における“死”の語り」と題して、現代において子どもに“死”を語ることの社会的意義をめぐる議論が北欧ではディシプリンの領域を越えて活発に展開されている現状を報告し、同時に現時点で進めているテクスト解釈を交えながら、北欧の「死」をテーマとした児童書、絵本を紹介しつつ、日本における本研究への関心が予想以上に高いことを知る機会となった。また同年の11月には第2回目の研究会を開き、研究協力者として本研究に参画してもらうスウェーデン・リンシューピング大学のアンベッケン氏を交えて、2013年3月に予定していたスウェーデンでの調査計画について確認と調査方法についての議論を交わした。初年度の締めくくりとして3月初旬にスウェーデンでの現地の研究機関(スウェーデン児童文学研究所、Ersta 子どもホスピス、Ersta ディアコニ)を訪問した。児童文学研究所においては、現在では絶版で入手不可能となっている絵本のコピー、研究所の専門研究者から「死」をテーマとする児童文学に関する論文などについてアドバイスを得ることができた。また子どもホスピスの現地訪問は施設見学に終始したが、その後、Ersta ディアコニ研究所において研究室員と社会学見地からスウェーデンにおける緩和ケアの実態について説明を受けると同時に、共同研究者である藤井が日本における死生学研究について講義を行うなど、非常に充実した取材・調査・討議の場を共有することができ、将来にむけて共同研究の可能性を探る機会となった。また初年度は本研究の直接結びつく成果を紙面上にて発表するには至らなかったが、田辺は北欧文学の文献検索方法についてまとめ、藤井は死生学に関する論考を雑誌に発表するなどして、研究基盤を固めた。

 

(2)研究2年目は初年度に引き続き、収集済みの文献の整理、新たな書籍購入と収集を引き続き行った。現地調査は夏に1週間デンマーク・コペンハーゲンにおいて研究分担者・藤井とともに実施した。2年目はデンマークにおける資料収集の確保とデンマーク児童文学作家へのインタビューを中心に、一般社会・民間団体・公共団体における死生学教育関連の取り組みの実態を調査し、考察をすすめた。インタビューを試みた作家キム・フォップス・オーケソンは現代デンマーク文壇においてあらゆる年齢層にむけて「生の尊厳」、「個の尊厳」など実存的なテーマを、分かりやすい文体で著し、北欧諸国では広くその名を知られた作家であるが、絵本『おじいちゃんがおばけになったわけ』は2005年に邦訳もされ、日本において海外絵本大賞を受賞した作品である。この絵本はまさに「子どもに死を語る」ことをテーマにした作品である。その作家から「子どもに死を語ることの社会的意義」について直接インタビューすることが実現し、氏の作品の多くにおいて自身の死生観が如実に投影されていることが検証された。作家自身の実人生、実体験から「死を語ることは生を語ること」、「年齢の如何に関わらず、子どもに生の真実を伝えることは重要であること」、死生学という専門学問には通じていなくとも、「一人の作家として“子どもと死”の問題や関連する社会活動(デンマークにおける子どもホスピスの立ち上げ運動)に積極的に関わっていること」などを聴取できたことは、「死の受容をめぐって市民レベルにおける社会的議論が押し進められている北欧の一側面を看取することができたと言えよう。その一方で、民間団体である「ガン撲滅協会」を訪問し、緩和ケア・プロジェクトリーダーと「子どもと緩和ケアプログラム」について意見を交換したときに明らかになったことは、緩和ケアをめぐるプログラムは民間レベルとしては多彩であるが、そのプログラムの構築方法に死生学に携わる専門研究者の関与があまり明らかに検証できなかったことである。北欧においては「死生学」というディシプリン自体は、いまなお確立途上にある状況を確認することができた。

 2年目の研究成果は共同研究者の藤井が9月に関西学院大学・聖和短期大学主催のRCCEC公開講座において、昨年度に引き続き本研究と関連させた講演「子どもと死」と題して、社会学見地からの報告を行った。また研究代表の田辺は2013年3月に発行した教材『デンマーク語で四季を読む』において、本研究に関連したテクスト編纂を行った。

 

(3)最終年度は、先の2年間の研究、実態調査に基づいてまとめとなる研究成果を出すことに専念した。研究代表者田辺は2014年11月に北ヨーロッパ学会において、「子どもに“死”をどう語るのかー現代北欧児童文学/文化からのアプローチ」と題する研究発表を行い、そのなかで共同研究者藤井からこの2年間、死生学というディシプリンに基づく理論から学んだ知見を援用した研究成果を提示することができた。また共同研究者藤井は、本研究に直接関係する著書『輝く子どものいのち』の編者となり、そのなかで「子どもの「死」の理解」と題する論考を発表し、田辺も同著において、「絵本をとおして“いのち”と“死”を子どもにつたえる」と題する小文を投稿した。双方の共同研究による研究成果である。また本研究に関連する著書、および論考をそれぞれのディシプリンに則した学術書、学術論文としても発表した。

 最後に『輝く子どものいのち』の出版に合わせて開催された記念講演会「多職種による小児緩和ケアの原則」(2015年4月15日)に出席し、子どもに「死」を語ること、子どもの緩和ケアには多職種、つまりディシプリンを超えた研究がまさに必要とされているという認識を田辺、藤井ともにあらためて再確認することができた。

講演・発表など

2014.11.08. 「子どもに“死”をどう語るのか―現代北欧児童文学/文化からのアプローチ」北ヨーロッパ学会.立教大学(東京都豊島区)

2012.09.14. RCCEC公開講座「現代北欧児童文学における死の語り」.於 聖和短期大学キリスト教教育・保育研究センター.

2012.07.07. 神戸YWCAマザーズカッレジ連続講座「アンデルセン童話のなかの<死>の語りー『人魚姫』『マッチ売りの少女』『パンを踏んだ娘』を通して」

発表論文など

2015 鍋谷まこと・藤井美和・柏木道子編、いのちのことば社、『輝く子どものいのち』(田辺:72-74)

2014 田辺 欧、大辺 理恵編著、渓水社、『デンマーク語で四季を読む』

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