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John Bauer

​ヨン・バウエル

 皆さん、こんばんは。今夜はスウェーデンの画家、ヨン・バウエル(John Bauer, 1882-1918)をご紹介します。

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​「トムテとトロルといっしょ」(1915)より

  深い森の奥深く、暗闇から浮かび上がる不気味な生き物。半ば森そのもののように、苔の匂いすら感じられそうな緻密な筆致で描かれているのが、バウエルの代表的なモチーフ「トロル」です。先日のキッテルセンの絵にも登場した北欧の伝承的存在ですが、スウェーデンのトロルは、ノルウェーのトロルとはまた違う趣があるように感じられます。

 "伝承的存在"と持って回った言い方をしてしまいましたが、トロールを「妖精」と呼んでいいのかどうかはかなり悩ましいところです。日本語的な意味での「妖精」とは御覧のとおりかなり異なるので、どちらかというと「妖怪」と呼ぶほうがふさわしいかもしれません。バウエルはトロルの他にも、スウェーデンの森や妖精、こびと(トムテ)たちを、恐ろしいだけではなく、ときにはユーモラスに、いきいきと表現しています。

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​「トムテとトロルといっしょ」(1915)より

 バウエルはスモーランド地方のJönköping出身。スウェーデンで二番目に大きな湖であるヴェッテン湖のそばで、豊かな自然に囲まれて育ちました。バウエルの絵はこの故郷の森の風景に強く影響を受けています。

 幼いころから絵を描くことが好きで、16歳のときに絵を学ぶため単身ストックホルムへ。1900年に王立美術アカデミーに入学し、そこでのちの妻となるエステル・エルクヴィスト(Ester Ellqvist)と出会います(1906年に結婚)。エステルもアカデミーの生徒でした。

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​どちらも1901年、20歳ごろの作品。右は衣装デザインのメモです。バウエルは舞台芸術にも関心を寄せていました。ゆるい表情が素敵!

 物語の画家(sagokonstnär)とも呼ばれるバウエル。

​ 彼の絵がスウェーデンで広く知られるようになったきっかけは、「トムテとトロールといっしょ」(Bland tomtar och troll)いう子ども向け創作民話のアンソロジーでした。毎年クリスマスに刊行されたこのアンソロジーで、バウエルは多数の挿絵を手がけました(1907~1910、1912~15年の号を担当)。このアンソロジーは成功を収め、多くの人々の手に取られました。

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​「トムテとトロールといっしょ」(1907)より

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​「トムテとトロールといっしょ」(1913)より

​ 1913年に描かれたこの絵は、バウエルの作品の中で特に有名で、なんとシャンプーのパッケージに使われていたこともあります。

 Tuvstarr姫(Tuvstarrはスカンジナビアで広く見られるスゲ属の多年草です)の物語の挿絵として描かれたものですが、今では絵の方が有名になってしまいました。

 妻エステルがモデルとも言われています。

​ 他の多くの芸術家と同じように、バウエルは旅先から多くのインスピレーションを得ていました。幼少期には父親とドイツを巡ったこともありますし、ラップランド地方へ取材旅行に行ったこともあります。結婚後には、妻とともにイタリアを二年もかけて旅行しました。

 しかし、バウエルにとって重要だったのは、やはり故郷の風景でした。長いストックホルム生活を経ても故郷への思いは消えず、イタリア旅行後は妻とともにJönköpingに戻り、湖のほとりに家を建てています。

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​ボルテッラへ向かうヨンとエステルのスケッチ。手紙より(1908)。

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エステルの自画像(1910)。彼女の作品もJönköping美術館で見ることができます。

 ​なお、妻エステルとは熱心な文通(!)の末の結婚でしたが、住む場所やキャリアについての考えの相違、経済的事情などにより、晩年は危機的な関係に陥っていたようです。

 彼女についてのテレビドラマが作られたこともあります。(https://www.themoviedb.org/movie/476909-ester-om-john-bauers-hustru

​ 余談ですが、王立アカデミーが女性を受け入れ始めたのが1864年のこと、エステルの時代にはまだ男性と女性は分けられており、授業の内容も完全に平等とはいえない状況でした。

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​ ヴィクトル・リードベリ(Viktor Rydberg)が子供向けに北欧神話を再話した「父親たちの神々のはなし(Fädernas gudasaga)」(1887初版)の1911年版には、バウエルの挿絵がついています。

 彼の絵の神話的な良さが活かされた、素晴らしい挿絵だと思います。

「父親たちの神々のはなし」表紙(1911)

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テュールとフェンリルの有名なシーン。

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​ロキとイドゥン。ロキの憎たらしさがよくでています!

 ​しかし、まだまだ画家として成長の途上にあった1918年、バウエルはエステル、そして三歳の息子とともに船の事故に巻き込まれ、帰らぬ人となってしまいます。享年36歳。

 Jönköpingの「東の墓地(Östra kyrkogården)」に今も眠っています。

 バウエルは、美術史的には同時代の​ナショナルロマン主義と関係が深い画家です。

​ Jönköping美術館のHPでは、彼の絵について「彼の描く神秘的・魔術的な空間は、スウェーデンの森にいる時のことを私達に思い起こさせる」と紹介されています。同HPには、バウエルについての記事が多く掲載されていますが、「スウェーデンの」森を描いた画家であることを強調する記述が多くみられました。

 

 これまでカイ・ニールセン、テオドール・キッテンセン、ヨン・バウエル...と北欧における「挿絵」「民話」「伝承」と微妙に重なり合う画家たちを紹介してきましたが、見比べてみると興味深いところがあります。北欧がヨーロッパの周縁に位置するということ、そのアイデンティティ確立の複雑さの一端を、うかがうことができるのではないでしょうか。

 最後に、バウエルの描いたクリスマスの絵をご紹介します。

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​【参考資料】

Jönköping museum

https://jonkopingslansmuseum.se/lar-och-upptack/kategori/john-bauer/

※バウエル作品を最も多く収蔵しているJönköping美術館のHP。バウエルについての記事が上記ページにまとめてあります。

Visit Småland

https://www.visitsmaland.se/sv/upplevelser/kultur-och-historia/john-bauer

スモーランド地方の観光情報サイトVisit Smålandのバウエル特集記事です。

Litteratur Banken

https://litteraturbanken.se/f%C3%B6rfattare/BauerJ

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