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現在進行中のプロジェクト
科学研究費助成事業採択研究課題
社会包摂に鑑みた北欧文学の異文化理解・言語教育への応用モデル研究
1. 研究の概要
本研究は文学研究を専門とし、語学教育にも携わる申請者が文学テクストを社会的諸条件に照らし合わせることにより、文学のもつ社会的包摂機能を、理論研究と実証研究を推し進める中で考察できないかという問いの下に生まれた。
「社会包摂」という概念は、これまで社会政策の一環として捉えられてきた。1990年代以降、北欧をその発祥地として、公共政策を進める上での重要なキーワードになり今日に至っている。日本においてもここ数年でようやく、文化政策をめぐる議論において文化芸術の「社会的包摂機能」が学術研究としても取り上げられるようになってきている。(衛紀生:「社会貢献型マーケティングと鑑賞者開発」(2015)、天野敏昭「社会包摂における文化政策の位置づけ」(2011)等)。
北欧において文化政策を語る上でキータームとして重要な役割を担っている「社会包摂」という概念に鑑み、文学の持つ社会包摂的機能に着目し、主として異文化理解と語学教育との枠組みにおいて以下の点から考察する。
① 北欧文学研究者の立場から、多元社会における文学の立ち位置を北欧の社会包摂の実情に照らし合わせて検証する。文学社会学的見地からテクスト分析すると同時に、文学と文学をめぐるアダプテーションの社会有効性を学際的に考察する。
② 日本における北欧語学教育者の立場から、北欧文学テクストを異文化理解に基づく語学教育の教材として活用できる応用モデルを開発する。
③ 大阪大学・社学共創機関と連携しつつ、①と②の研究成果をワークショップ、アウトリーチ活動などから一般市民にもフィードバックし、21世紀多元社会における北欧文学理解、日本における新たな北欧文学受容の場を創生することに寄与する。
2. 研究の目的
本研究では社会学、経済学、政治学の領域でしか扱われてこなかった「社会包摂」の問題を文学・語学教育の領域において扱う。またそれは「社会包摂」という概念の発祥地である北欧の社会の実相が映し出されている文学テクストを研究対象に扱うことによって可能となる。文学研究、語学教育および社学共創組織との連携、すなわち文学研究者・語学研究者・社学連携部門の特任研究者による学際的な研究によって、従来文学研究者から見過ごされがちであった、文学が描き出す社会、文学が再生産される場、文学が受容される場を示すことが本研究の有する最大の独自性であり、創造性だと考える。
(1) 北欧において社会包摂の一対象者である子どもや移民に、教育(成人教育も含む)の現場で文学を媒体として文化・芸術を供給することの社会的意義をめぐって議論してきた過程、そしてその議論を文化政策として実践に生かしてきた実態に着目し、そのような場で取り扱われてきた文学テクストを抽出し、文学社会学的研究手法を援用しつつ物語に内在する個別にして普遍的なテーマ(「死生観」、「家族観」、「娯楽性」など)から社会学的命題を分析し、文学が社会包摂に果たす機能とその可能性を読み解く。
(2) 日本における北欧語教育において文学テクストを活用した語学教材を開発し、言語の構造、文法の習得のみならず、文学テクストに書き込まれた制度・慣習などを異にする北欧の文化を学ぶことを通じて、世界の多様性の認識と異文化の理解を深め、現代の多元社会における新たな北欧文学の理解と受容を促す。
(3) 文学はグローバル化やメディア技術の発達に伴い、現代的な文学現象に書き換えられうるが、こうした文学のアダプテーションの機能が社会においていかなる有効性を持つのか、また文学・言語が異分野(音楽・美術・演劇等)と融合することで、アダプテーション機能がどのように補強されうるのか、実践的なワークショプおよびアウトリーチ活動を通じて検証・考察する。
3. 研究の方法
国内外における資料収集と文学の社会的包摂機能の実態調査にあたると同時に国内における研究環境を整え、準備のためのワークショップを行う。文学実践者へのインタビューを行い、ワークショップを継続するとともにアダプテーションの社会有効性と文学テクストの教育現場における有用性について検証し、文学テクストを用いた語学教材の開発の準備にあたる。文学を再生産するための諸方策を実践も含め、研究成果として提示し、文学・語学教育に内在する社会的包摂機能を社学共創機関における活動の検証・評価などを通して明確に析出、実際的な手立てについていくつかの提言を行う。以下5点に分けて要点をまとめる。
(1) 資料収集・分析
文学社会学に関する国内外の基本文献資料、文学テクストを取り込んだ語学教材の収集、および研究事例の検証。社会的諸条件に鑑みて編纂された文学教材の収集と分析にあたる。
(2) 北欧における文学の社会的包摂機能の実態調査
北欧において文学を文化政策の柱として実践に活かしてきた事例を教育現場、博物館、劇場、図書館、出版社などを通して調査する。
(3) 文学実践者へのインタビューと共同ワークショップ
文学テクストに関わる実践者(作家・俳優・教育者・出版社など)へのインタビューと共同ワークショップを通じて文学が再生産される場を考察し、ワークショップに参加した一般市民を対象にアンケート調査を行い、その結果も合わせて分析の対象とする。
(4) 文学テクストのアダプテーションをめぐる考察
本研究ではデンマーク文学のフィクションに焦点をあて、テクストとアダプテーションの分析を行う。取り上げる作家は日本でも認知度が高い女性作家ブリクセンにまず着目する。現代作家は福祉国家が掲げる社会包摂の中において文学を世代間、民族間の断絶を克服する新たな文化施策の一環として捉え、グローバルの枠組みにおける文学の「翻案」に余念がない。20世紀に英語とデンマーク語の2言語と複数のペンネームを用いて自作の中で翻訳・翻案作業を繰り返し、デンマーク文学を世界文学へと導いた本作家を扱うのが妥当と考える。
(5) 文学テクストを取り入れた語学教材の開発
研究期間半ばより、北欧文学が日本においていかに受容され、再生産されるか、その実証研究として文学テクストを取り入れた語学教材の開発に着手する。上記の1.から3.の過程ですでに取り上げるテクストの選定を済ませておき、研究期間後半において言語学を専門とする研究分担者・研究協力者と共に教材を作成する。
4.これまでの研究活動
本研究を支える研究業績のなかでベースとなるのは、田辺が研究代表者として関わった二つの科研課題「脱領域的観点に依拠した「越境文学」としてのアンデルセン研究」(平成21〜23年基盤研究C)および「死生観の文学空間-現代北欧児童文学における「死」の語り-」(平成24〜26年挑戦的萌芽研究)である。上記の研究は文学領域だけに収まらない超域研究に基づくものであり、本研究の文学の社会的包摂機能を検証する際にも有効な論拠となる。
本件申請者(代表者・田辺欧、分担者・當野能之、協力者・大辺理恵)は全員が大阪大学大学院言語文化研究科に所属し、北欧文学および北欧語の研究と教育に携わる一方、大阪大学の社学共創組織である21世紀懐徳堂において、一昨年より新しく設置された「大阪大学社学共創クラスター」の一つ「異文化理解クラスター」の一員としての任務を担っている。ここ3年ほど、大学と社会・一般市民(子どもを含む)を対象にした社学連携事業に携わり、北欧の文化芸術の振興を通しての学術発信に積極的に関わってきた。
その一つが一昨年来、東京・京都・広島などで開催されたブリクセン展の展示形態(図版入りの評伝を展示するだけではなく、小型のプリント版を用意し、観覧者本人に自由に選ばせ本人なりの冊子を創作させる)である。申請者田辺は主催者側の要請を受けて、展示テクストの翻訳に携わった。これも、文学と社会を結ぶための一工夫であり、文学の社会包摂への貢献を促す一形態である。同時に文学実践者であるデンマークの博物館、日本における出版社・書店などとも共同し、日本における新たな北欧文学の受容の場を構築しつつある。
2019年には當野が中心となり企画したイベント「シベリウスとフィンランドの言語の多様性-合唱団のためのスウェーデン語発音講座」において、当プロジェクトが日本言語学会の「言語の多様性に関する啓蒙・教育プロジェクト」に採択されたことも、研究・教育が社会に還元される一例を示すものと言えるだろう。
国内外を横断する研究上のネットワークとワークショップの経験を活かしつつ、異文化理解の一環としての文学研究・言語教育の新たなツールの可能性を求めて活動を展開、同時に研究・教育現場での成果を一般市民に公開する試みとして、2019年12月1日には大阪大学21世紀懐徳堂所属の特任研究員(異文化理解クラスターのメンバー兼務)肥後とともにレクチャーコンサート「音楽のアラベスクと文学のアラベスク」(大阪大学21世紀懐徳堂・豊中市共催:田辺欧出演)を行った。
講演・発表など
2021.06.20.量子力学×文学コラボカフェ「デンマークの絵本から見る、量子力学の世界」主催:大阪大学外国語学部・大学院言語文化研究科.
共催:大阪大学世界最先端研究機構 量子情報・量子生命研究センター、大阪大学社会技術共創研究センター(ELSIセンター)
後援:デンマーク大使館.於 京阪電車 なにわ橋駅 アートエリアB1.
発表論文など
2020.12.15.ヤン・イーイスボー、ヨハネス・トゥウス、ピーア・ベアデルスン作.監修:前田京剛.翻訳:勝矢博子.アグネ技術センター.『フィン・フォトンさんと量子力学』(監訳:田辺欧)