この動画では、Søren Ulrik Thomsen が5編の詩を読み上げています。
・Levende (fra City Slang, 1981)
・At tabe det hele og at bære det med sig
・Tilegnet alt der har stået for længe i rengen
(fra Hjemfalden, 1991)
・Tilgiv at jeg ser dine knogler før kødet
(fra Det skabtes vaklen, 1996)
・Her skulle egentlig have stået et digt
(fra Rystet spejl, 2011)

トムスン:Søren Ulrik Thomsen (1956 - )

オススメの作品は?

トムスンは、昨日紹介したタフドロプと同世代、80年代初頭にデビューし90年代にHjemfalden(『喪失』1991)で一躍デンマーク詩壇の寵児となります。タフドロプ同様、トムスンも詩論Mit lys brænder(1985『ぼくの光が燃えている』)を発表しますが、私がオススメしたいのは、1991年の代表作『喪失』です。これはタフドロプの『水上を私は歩く』と同年の出版。1991年はクレステンセンの『蝶の谷』、トムスンの『喪失』、タフドロプの詩論と詩人たちが一斉にセンセーションを巻き起こした年となりました。当時ちょうど私がコペンハーゲンに暮らしていたこととも重なりとりわけ印象に残っているのかもしれません。この作品の朗読会にも同寮生の仲間と足を運びました。彼も絶えず「生の意味」と「自己の在処」を実存的に問い続けてきた詩人です。その問いかけをトムスンは自らの居場所と時間をメタファーに用いて省察しているように思えます。「記憶」というのも彼の詩全体に通底する一つのキーワードです。『喪失』はどちらかというと、タイトルそのものが示唆するように、「朽ちていくこと、死」を感情的ではなく、ややメランコリックにそして清澄に表現しているように思います。この詩が当時若者に非常に支持されたのは、80年代から90年代にかけて失業率の高かったデンマーク社会、都会の退廃的な雰囲気とも相まってのことだったのはないでしょうか。

トムスンの作品に触れるきっかけは?

トムスンの処女詩集City slang(1981『シティー・スラング』)の中の誰もが知っている詩 ”Levende”(「生きている」)をコペンハーゲン大学の授業の「今日の詩」で読んだことがきっかけです。この詩が書かれたのはトムスンがまだ24歳の時です。「生きている」ことが、詩人の声を通してあたかも個人の体験として語られているかのように聞こえます。しかしその声はいつしか人間にとって普遍的な体験として耳に響いてくるのです。その後私は帰国し、自ら授業のなかでデンマークの詩を学生とともに読むようになります。そしてこの詩に再び出会いました。ゼミで学生が自分の好きな詩を選んで、自ら日本語に訳す作業をするなかにおいてです。2002年のゼミ論集にF君の訳で掲載しました。そのままここに引用します。「生きている:雨水が流れる/私の腕を伝って/私は生きている/電話が鳴る/受話器は手の中で冷たい/私は生きている/泣く/手を置く/首のところへ/私は生きている/門がバタンと閉まる/車が壁の後ろで疾走する/私は生きている/私の服は汚れている/湯が沸騰する/私は生きている/あなたの声を恋しく思う/それはここにはない/机にぶつかる/私は生きている/においを覚えている/彼の部屋のにおいを/港のそばの駅の風を/私は生きている/古い詩を見つける/手紙を 記憶を見つける/10年 8年 7年 1年/私は生きている/事務所に手紙を書く/牛乳がすっぱい/私は泣く/私は生きている/泣く/生きている」